横断的に/倫理観が終わっています

どこかへ行くための手段

精神が病みやすい時は肉体が疲れているので単純に睡眠時間を増やすことが大事。正では無い。悪夢は現実以上の疲労が溜まるので心も休まらない。ゆっくりできる一人の時間を取る。正では無い。ゆっくりした分の頭の余白に埋まっていくやるせなさ。一人で一人分の自分の好きな美味しいものを食べる。正では無い。食べた後の罪悪感。この世から1グラムでも消えてしまいますように。

 

感情の波は最後どこまで届くのか。ゆらゆら揺れてただ一つの線になる時が来るのか。深夜、雪道のすすきのから帰るタクシーの乗車中に考えていた。私は、私は来てくれたお客さんが今日一日の最後に出会う人間なのだ。その人間たちの一日で感じた感情の総括を様々な感情の形で受け止める。怒りには怒り、悲しみ、同情。喜びには更なる喜び。楽しみには過剰な阿呆。静謐な内面に対して波止場になるように。でも夜間タクシーの運転手は?夜の繁華街、最後に乗せるお客さんの大概は夜職の、様々な肩書を持つ人間の感情の波を受け止めた人間だ。その感情の波を、桶で泡を流すように運転手に寄せられた時、誰へ流れていくのだろう。日陰の路地裏、太陽の当たった部分が中途半端に溶けて氷の轍になったでこぼこの道に揺られながら考える。「この白いアパートの前で降ろしてください」「これ、灰色の壁ですけど」色覚恒常。冬の電柱から漂う冷気と運転手の言葉の温度は一緒だった。昼間は白いアパートで、夜にスポイト機能で抽出すると灰色をキャッチする。ひとりひとりのニュートラルが違う。ただそれだけのことだ。