横断的に/倫理観が終わっています

どこかへ行くための手段

精神が病みやすい時は肉体が疲れているので単純に睡眠時間を増やすことが大事。正では無い。悪夢は現実以上の疲労が溜まるので心も休まらない。ゆっくりできる一人の時間を取る。正では無い。ゆっくりした分の頭の余白に埋まっていくやるせなさ。一人で一人分の自分の好きな美味しいものを食べる。正では無い。食べた後の罪悪感。この世から1グラムでも消えてしまいますように。

 

感情の波は最後どこまで届くのか。ゆらゆら揺れてただ一つの線になる時が来るのか。深夜、雪道のすすきのから帰るタクシーの乗車中に考えていた。私は、私は来てくれたお客さんが今日一日の最後に出会う人間なのだ。その人間たちの一日で感じた感情の総括を様々な感情の形で受け止める。怒りには怒り、悲しみ、同情。喜びには更なる喜び。楽しみには過剰な阿呆。静謐な内面に対して波止場になるように。でも夜間タクシーの運転手は?夜の繁華街、最後に乗せるお客さんの大概は夜職の、様々な肩書を持つ人間の感情の波を受け止めた人間だ。その感情の波を、桶で泡を流すように運転手に寄せられた時、誰へ流れていくのだろう。日陰の路地裏、太陽の当たった部分が中途半端に溶けて氷の轍になったでこぼこの道に揺られながら考える。「この白いアパートの前で降ろしてください」「これ、灰色の壁ですけど」色覚恒常。冬の電柱から漂う冷気と運転手の言葉の温度は一緒だった。昼間は白いアパートで、夜にスポイト機能で抽出すると灰色をキャッチする。ひとりひとりのニュートラルが違う。ただそれだけのことだ。

生きのばし/The ピーズ

 

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日光に見張られたせいでフローリングに積もった毛羽だつ埃を暴かれる。起きがけに「まだ今日も生きてるのか(また死ねなかったのか)」という言葉がぼんやり脳内に浮きあがらなくなったのはいつからだろう。去年の秋の湿り気のないマットレスの感覚を覚えているので、それまでは起きるたび体に走る痺れのような、一音の響きによる生活への諦念、降参、服従、辟易、倦厭、閉口。

 

獣道がくっきりとした土の道になるように、年数をかけて平されてしまった思考なのでもう日常になっていた。時間になったら食事を摂るように、歯を磨くように、眠るように。日々のルーチン。意味や目的を逐一自分に求めない、行動の一環に組み込まれていた。

 

「『死にたい』と言われるとこちらも入院させざるをえないので、言わないでください。嫌でしょ?入院。」

 

自分の中で留めておけば、世界に対して加害をしてないことと一緒なのだと知った。(あくまで私の価値観ではあるが、私の行動全ては自己中心的であり加害である。それが例え他人の目に「善」として映ったとしても。)

 

病的だったとは思う。ただ私が生きていく上で特に支障が無かったことや社会が「迷惑を被っていない」なら寝起きに浮かぶ言葉は病にならなくて、ただ自分の中に存在しているだけの現象、と割り切れていた。(もし他人がこのような思考回路になっているなら私は迷いなく「病院に行き適切な治療を受けるべき」という加害を行う)

 

最近、意味のわかる人の歌が恋しくなる。ジャズでもなく英詞でもなく電子音でもない、バンド音楽。私のルーツ。昔ほど歌わなくなって「覚えるための音楽」として女性の歌を聴かなくなった。代わりに自然と男性の歌う歌を聴くようになった。『Theピーズ』は絲山秋子の小説で知った。絲山秋子は高校生の頃、匿名チャットで教えてもらった。『逃亡くそたわけ』では確か『Theピーズ』の歌詞が所々で引用されていた気がする。なんとなく名前だけ知っていたがそこまで興味があったわけでもなくレンタルするまでもなく名前を知ってから10年以上が経った。通勤する時はなるべく新しい音楽を聴きたい。そう思って『生きのばし』を聴いた。

 

 

『死にたい朝 まだ目ざましかけて

 明日まで生きている』

 

 

私の「まだ今日も生きてるのか(また死ねなかったのか)」の言葉に、人の声とメロディと意味が塗りたくられたと思った。同じ雨雲から降ってきた雨だと思った。人類が一人の女性から始まったみたいに、言葉や表現は枝分かれしても、誰しもが持っている色使いと原型が一緒の感情だと思った。そしてやけに染み渡ったのは「まだ生きてる/また死ねなかった」という気持ちに蓋をしていたからだと気づいた。蓋は閉まり切っていなかった。

 

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生きる自由/死ぬ自由で考えていた。「そうする為には」の理由を考える必要もあった。存在価値、いや価値という価値観すら無駄。削ぎ落としてただ存在すればいいという落とし所まで見つけた。けれどもっともっとその真ん中に(いや、もっと別軸なのかもしれない)怠惰に不健康にだらだらと無駄に生きのばす自由もある。怠惰に不健康にダラダラと無駄に生きのばすという目的。(性格診断の「ややそう思う/ややそう思わない」というグレー)そしてきっと、なんとなく死んでも良い。

 

毎日幸せだと思う。「あの時に戻りたい」とも思わない。今この瞬間も幸せを更新し続けている。それでもまだ、こびりついてしまった形骸化したルーチンの、言葉にまったく意味が注そがれていない「まだ今日も生きてるのか(また死ねなかったのか)」の言葉が時々浮かんでくる。(大概は、楽しいことがあった帰りの電車の中だ)その言葉に対して、意味の着色をした『生きのばし』

 

決めなくても良い。ずるずるとそのまま。泥を引き摺りながら歩いても良い。泥の跡が私の痕跡。

 

‎生きのばし - The ピーズの曲 - Apple Music

 

 

死人の誕生日を覚えていたことについてこんなにもクソだと思う日は無かった

 

自死の話題がありセンシティブかと思います。
気分の落ち込んでいる方や落ち込みやすい方は見ないでください。

自己責任で読んでください。

 

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今夏、東京に来て1年が経ちそろそろ環境にも慣れてきて帰省してのライブや、動画制作など楽しいことが目白押しだな!と考えていた矢先に足の火傷や会社都合による退職からの転職などBADなライフイベントが重なり、覚えていることといえばただひたすらにべたべたとひっつく湿気。気づけばライブも展示も全てが終わっていて秋になっていた。

 

正確に言えば9月の半ばには全て終わっていたのだ。ただこの駆け抜けた勢いで急ブレーキをかけるときっと燃え尽きてしまうんだろう。今まで生きてきて何回か経験してきたことなので一段落をする前に、会いたい人に会って一緒に見たり食べたり話をしたり音楽を聴いたりした。たまに訪れる無言の時間も風鈴の音のように涼やかで、蒸発しそうな身体に風を感じさせてくれた。誰かと会って喋るのは大好きだ。出かけるのも大好きだ。沢山のものを見聞きしたい。知らないことをひたすら眺めていたい。あなたの生きてきた全てを聞きたい。ジェスチャーをつけて。

 

休みがなかったわけではないけれど粗熱をとる必要があった。夏の間に象った自分をゆっくり定着させないと、さなぎの中でぐちゃぐちゃになって皮膚の形成が出来ないまま外の世界に排出されて真皮が曝され風が吹く度に痛みで泣いてしまう。仕事が休みの日でも外出をしたり、人と会ってもらったりした。みんな忙しい中時間を割いて快く会ってくれて本当に嬉しかった。ありがとうございました。私は私以外の人たちの眼差しでできている。


今朝目覚めて1番最初に思ったことは「あの店のケーキを買いに行こう」だった。あの店、とは近所にある中年のご夫婦が営んでいる小さなケーキ屋で私はあの店のチョコレートケーキが大好きだ。小ぶりな丸型のチョコケーキの上には深い赤のフランボワーズソースがかかっている。お店に行くたび必ず買う。そしてそのケーキと共に季節の果物を使ったタルトを一つ買うようにしている。この店のタルトはクッキー生地がしっとりしていてフォークで生地を刺してもバキッと割れて砕け散ることもないのでカスタードクリームと一緒に味わえる。今日はシャインマスカットのタルトだった。先週、山梨県に行ってシャインマスカットのパフェを食べた後、微動だにしない富士山を眺めたことを思い出した。チョコレートケーキとタルトと、ついでに家族へガトーショコラも買った。

 

店を後にしたとき、乾いた冷風が私が住んでいた頃の故郷の9月中旬を持ってきた。私に「平熱ですよ」と教えてくれた。休んでも良いよと教えてくれた。冷え性の手足に戻っていたことに気づく。

 

どちらを先に食べようか考えながら帰宅した。チョコレートかタルトか。前者ならコーヒーと、後者なら緑茶と。…緑茶を飲んでホッとしたいと思ったので、私の大好きな『パンダコパンダ』の柄の湯呑にあたたかい緑茶を注いで、弟がプレゼントしてくれた金縁の白いお皿と金のフォークを準備してタルトを載せようとケーキが詰められた箱を開けようと、留められたシールを剥がそうとして今日の日付が目についた。

 

当日中にお召し上がりください。

消費期限 10月8日

 

私の本名と1字しか違わない、小学中学生の頃に私をいじめていた、2019年に自殺したあいつの誕生日だ。私は「思い返してみればあいつからいじめを受けていたんだ」と自覚できたのは20代に差し掛かった頃だった。あいつは私と同い年で小学生の頃から中学1年生の半ばまで行動を一緒にしていた人間で毎日登下校も共にしていた。定期的に他の友人を目の前にして私を扱き下ろしたりグループから外したりした。最終的には、話かけても無視をされ、直接名指しはしないでも私とわかるような身体的な特徴を挙げて大声で悪口を言っていた。今思い返して端的にあいつのことを表すとするならば、スケープゴートを作り上げてでしか友人関係を作れないような人間で私に寄生して自己肯定感を吸い上げていた人間だった。私自身の家が機能不全家族だったことも大きいけれど、ただでさえ狭い田舎の学校生活で「あいつ」から嫌われることは、世界を見渡す事ができない身体の小さい小学生にとって安心できる世界では無く、ただただ無力感のみで自尊心を削られるだけだった。中学生になってから、あいつに仕返しできるような環境にもなった。でもそれはやらなかった。新しい友人関係が楽しかったし、同じことをしたくなかった。私にできることはもうあいつとは関わらない。

あいつが死んだのは、私が猛烈に「死にたい」と思っていた時期だ。誇張では無く毎晩泣いていた。その時の日記がちょうどあった。

 

 

ビートを刻む音は心音の速さを管理されているようで不快。いっそ本当に呼応していてほしいし極限までスローテンポを刻みそのまま心臓を止めてくれ。与えられた命は全うしろ、死ぬ気があるならなんでもできる、死んだら負け。本当に煩わしい。自分の感性の無さと自己中心的な思考に対して何の興味のないひとたち。その言葉が震えているんだよ、脳内で、爆音で。地獄を生きてると本当に思う。幸せな時間ももちろんあるけど全てが終わって歯を磨いていると口いっぱいに死にたいとミントが広がっていく。いいことも悪いことも嫌い。感情の波が不快。セットした前髪が心地いい風でなびいた時の気持ち。早く消えてしまいたい。ずっと思ってる。そのきっかけを作ったあいつが自殺して本当に悔しい。なぜ私が死なない?命の最大限を生き地獄として使って欲しかった。私がしたいことを追い抜いてゴールしてしまった。くやしい、くやしいよほんとうに。ずっと苦しんで欲しかった。死んだお前が勝ち組で正しいなんてそんな馬鹿な話があってはいけないんだよ。仏教で自殺は罪では無いの?地獄に行った?じゃあここはどこですか。

 

 

当時書き留めていたブログに2019年10月8日9時48分に投稿されたものだ。確か、親からの連絡で「新聞のおくやみ欄に名前があった」との連絡があり、その後新聞を確認した際には葬儀済と記載があった。あいつはあいつ自身の誕生日の数日前に死んだのだろうか。私の地元では夕食時に町内放送が流れる。大概は明日執り行われるどこかの家のお年寄りの告別式や葬儀の日にちだ。でもあいつが死んだ時にはそんな放送は無かった、という話だ。

 

ここまで書いたけれどあいつが自殺したということを証明できるものは何一つ無い。ただ言えるのは、私は「あいつは絶対に自殺をした」という要素を多数思い浮かべることができる。

 

例えば一つ、私の通っていた小学校では読書感想文を書かされ提出し終わった時期に、1年生から6年生までそれぞれの学年で1番良いとされた読書感想文を校内放送で読み上げるという行事があった。あいつは毎年選ばれていた。そういう人間だった。雑に吐き捨てると、狡賢く繊細な人間だった。

 

死人の悪口を言うのは良くないと言われるけれど私にはそれがわからない。『死人に口無し』で相手が反論出来ないから、私が卑怯者とみなされるからなのだろうか。私が書き連ねたことは私自身の身に起きた事実を述べているだけ(だと思っている)し、私は当時あいつに対して悪口を言ったりいじめ返したりはしていない。ずっとずっと我慢していた。そしてあいつは自殺した。本当に許せなかったし今でも許せない。だからこそこうして怒っている。私のやっと取り戻した体温計に触らないでほしい。私があいつの誕生日を覚えているのは知り合ってから7年間、毎年誕生日プレゼントを送っていたからだ。人間は都合の良い生き物だから、憎い相手に対して施したことは覚えていて、私があいつから貰ったものは一つも覚えていない、というより全て捨てた。ひたすらに「負けた」と感じる。永遠に追い越せない。波風のない何もない場所。

 

ケーキが詰められた箱を開けようとした一瞬で過ぎった感情はさっき買ってきたばかりのきらきらしたケーキたちを見た瞬間に流れていった。タルトのてっぺんにのっかっているつややかなシャインマスカットを早く食べたい。

 

あたたかい緑茶と、金縁の白いお皿と金色のフォークとシャインマスカットのタルト。なんて幸せな休日なんだろうと思った。駆け抜けてきた先の腰掛岩。脱力して、頭の中のものが何もない状態。あいつはこの幸せを知らない。駆け抜けた先に何があるかなんて誰にもわからない。あるのは焼けてしまった野原が広がった光景なのかもしれない。でもそれでも、その地点が0でもマイナスでも、まだ立ち上がれるなら私はそこを草原にするし家を建てる。何度も何度もそうしてきた。というよりそうできたのは私は運が良かったから。絶望もしたけれど色々な人に出会って助けられてここまで来れた。そしてあいつは運が無かった。ただひたすらに運が無かった悲しい人間。ただそれだけのこと。

 

今日は最低最悪最高の日。